歴史

当山の開基は、慶安年間(1648~1652)の江戸時代前期に遡り、天台密教の道場として、寺格を得たことが始まりとされます。しかし、「新編武蔵風土記」の記述によれば、「元庵室であったものが…」と記されており、庵室時代については触れられておりません。ところが、平成元年にこの庵室時代を想起させる文書が発見されました。明治25年当時の「墓籍簿」です。これによると、当時の住職墓地には覚運(1007年没)と元照大智律師(1116年没)の墓石があったことが記されています。

覚運といえば、平安時代、天台の高僧として知られた人物であり、藤原道長や紫式部とも交流し道長の仏事に関与され、また檀那流の祖とされる人物です。

元照大智律師は中国(宋の時代)の高僧であり、律宗の僧侶として同時に念仏の活動でも知られた人物であります。

これらの記録に基づけば、当山の歴史は千年近いものになると思いますが、大正・昭和にかけて80年近く無住の時代が続いたため、残念ながらはっきりとしたことは分かっておりません。
墓石簿と同時に発見された古文書によれば江戸時代に、茨城の千妙寺、出羽の修験道、桶川の泉福寺等と、深い交わりがあったものと思われ、貴重な資料を残しています。特に江戸時代末期から明治にかけては地域の寺子屋塾として親しまれており、智純師(1873年没)の筆子塚は現在も住職墓地に存在します。

~「新編武蔵風土記」巻之153 足立郡より~
長久寺 天台宗川田谷村泉福寺ノ末、天王山自性院ト號ス。当寺元庵室ナリシガ、慶安年中一寺トナレリト云、本尊不動ヲ安ス。

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